07 佐野勝久 Katsuhisa Sano
「本職はインテリア・デザイナーなんだけどねぇ」と口を尖らせつつ、水引にブラッドオレンジにと、産地産業の新ネタをいくつも繰り出している「s.design studio」代表・佐野勝久さん。そんな佐野さんからかかってきた一本の電話がきっかけで、砥部町出身にして世界的デザイナー・アーティストである石本藤雄さんの初めての里帰り展「石本藤雄展―布と遊び、石と遊ぶ―」(2013年9月26日~10月11日、会場:愛媛県美術館・砥部町文化会館・ホテル「茶玻瑠」)をお手伝いすることに。
石本藤雄さんってどんな方? 砥部焼と北欧デザインとのつながりって? 石本藤雄展実行委員会にいたあのヒトの正体は? 手探りのまま、無我夢中で過ごした数ヶ月間を振り返るとともに、デザイン/アートのチカラが地域にまいてくれた種とは何だったのかを考えます。
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profile
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1961年生まれ。東京造形大学卒業。「s.design studio」代表。四国中央市の水引、菊間瓦などの産地産 業に加えて県内産農水産物加工食品などの数多くのプロダクトのデザイン化・高付加価値化に関わっている。また、展覧会「青山二郎の眼」「白洲正子生誕100年特別展―神と仏、自然への祈り」の愛媛における実行委員会形式での開催(※他都市では公立美術館の主催事業)に際しても中心的な役割を果たした。
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interview
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「えひめプロダクト×デザイン」の土壌づくりをめざして
石本藤雄展黒幕のデザイナー
フツーのオジサンに戻りたかった21日間
Q1 石本藤雄さんは、世界的に有名なフィンランドのブランドであるマリメッコのデザイナーとしての経歴を持ち、 現在はアラビア窯で作陶をされています。そんな著名な方の「里帰り展」をお手伝いさせていただき、作品にも作家ご本人にも触れる貴重な機会となりました。改めて、この展覧会の企画・実施に至った経緯を教えてください。
東京の知人から「砥部町出身で世界的に活躍中のすごいデザイナーがいる」と紹介を受けたのが、石本藤雄さんでした。当時はまだマリメッコに所属していたのではないかと思います。当時、石本さんは年1回程度、お母さまがいらした実家の砥部に帰っておられました。今回の石本藤雄展の事 務局長をしてくれた砥部の窯業技術センター嘱託の安岡史朗さんや、委員会で活躍してくれた城北運送取締役の久米正信さん(元・県窯業試験場勤務)とのつながりも、そのときにできたものです。愛媛でも展覧会ができたらいいですねという話は、その当時から持ち上がっていたのです。
石本さんの展覧会は、東京ではこれまでに何度も開かれています。道後オンセナート2014」の総合プロデュースをしている「スパイラル/ワコールアートセンター」(東京都)が主催した展覧会など。東京なら第一線で活躍しているデザイナーたちの支援もあるし、目の肥えたファンもたくさんいるから、比較的容易に展覧会ができるんです。スパイラルの方も、愛媛でも展覧会を開けないかと、地元の美術館やデパートなどに片っ端から当 たって働きかけていました。でも、受け皿がなかなか見つからなかったんですよね 。最大のネックはやはり資金面でした。
今回の展覧会実現のきっかけは、2012年11月、当時の砥部町長であった中村剛志さん(石本藤雄展実行委員長) へスパイラルから企画展開催の依頼の資料が届き、中村さんから安岡さんに相談されたことから始まりました。
スパイラルは2012年11月から1年間、マリメッコから石本さんのファブリック作品を借り受けていました。13年2月にスパイラルと石本さんが来松する機会があり、中村剛志さん、安岡史朗さん、久米正信さんと私がお会いして、展覧会の方向性を決めました。
Q2 佐野さんご自身も以前、県窯業試験場とは関わっていらっしゃいましたね。砥部焼の「現代化」や「デザイン力アップ」といった産地産業のテーマを通じても、石本さんと砥部焼の関係者との間に様々なつながりが以前からあったということですね。
そうですね。安岡さんや久米さんには、松田歩さん(すこ し屋松田窯)や郷田裕佳子さん(アトリエリュクス)、同じく砥部焼の窯元の娘さんの佐賀智代さんなど、若手砥部焼作家の会である「陶和会」メンバーにも声をかけてもらいました。彼女たちは今回、会場の運営などで大活躍してくれましたね。
一方、久米さんには、地元側の立場でいろいろな気配りをしてもらいました。展覧会を同時に3つの会場でやるなんて、設営や撤収の作業を考えたら、ホントは無茶苦茶なんです。でも、砥部でもぜひ、という中村さんや安岡さん、そして石本さん自身の強い想いがありましたから、砥部も絶対に外せませんでした。運送会社もされている久米さんが、全会場をぐるぐる回って効率よく作業を進めてくれたからなんとか実現できたけど、普通の業者さんにお願いしていたらまず無理でしたよ!
地元側はみんなボランティアです。安岡さんも一個人として動いてくれました。石本展を自分の手柄になんて考える人は誰もいなくて、気持ち良い組織でしたね。
Q3 愛媛での個展開催については、石本さんご自身の故郷への想いもありますよね?
そうですね、フィンランドに住む石本さんにとって、砥部町は「近くて遠い場所」でしたからね。海外や東京では高く評価されていましたが、地元ではほとんど知られていない石本さんが、地元で沢山の方に作品を見て欲しいという想いと、それがなかなか実現しない現状が何年も続いていたと聞いています。石本さんの作品展は企画展として価値も実績も申し分ないのですが、誰でも知っている知名度のあるアーティストでないと展覧会が出来にくい土壌があります。石本さんが地元で知っている人がほとんどいないこと、本人が日本にいないことが、愛媛で展覧会が出来なかった一 番の理由ですが、だからこそ知って欲しいという我々の想いは強かったですね。
Q4 実行委員会の会議はいつも道後のホテル「茶玻瑠」さんの会議室で行われていたし、ロビーは展覧会の会場にもなりましたね。さらに、道後オンセナート2014の一環としても、茶玻瑠さんは石本藤雄さんプロデュー スの客室も作っていますね。両者は元から関わりがあったのですか?
そうですね。ちょうどホテル茶玻瑠が売店を「茶玻瑠セレクト」としてリニューアルするなどの転換期とも重なっており、川本栄次社長さんの中で、ホテルの新たなイメージと、石本さんの作品の雰囲気や北欧のイメージとが合致したんですね。
Q5 佐野さんもその新しいセレクトショップづくりに絡んでおられると伺いました。ご自身も石本さんと茶玻瑠さんとを結びつける役割をされたということでは?
6月にショップのコーディネート業務を請けることになり、石本展の作品会場はグッズ販売といっしょにまとめさせてもらいました。「茶玻瑠セレクト」のコーディネートから、ホテルの総合的なブランディングまでも考えて、石本 展とホテルの双方にメリットがあるように、拡がりやつながりを持たせることもできたと思います。
ショップは社長が言うように、観光客以外でも、安価な土産品だけでなく「良いモノ」を求める人たちをターゲットと考え、北欧のものなども置こうと提案しています。また、石本展の時にはロビーを会場にすることで、「できれば作品やポストカード、書籍も売りたい」というスパイラルや作家の意向ともマッチした形で、アート作品を見せることと売ることとをつなげることもできましたし、その後の道後オンセナートの企画である、アーティストが客室をプロデュースする「ホテル・ホリゾンタル」へもつながりました。
Q6 展覧会実施をめぐる費用負担はどのようになっていたのでしょうか。
具体的な金額については申し上げられませんが、愛媛での実施に関しては、すべて地元の協賛と入場料でまかなっています。また、広報、プレイベントの企画、運営など全て実行委員会がボランティアで行いました。普通ではありえない話ですが、石本さんと愛媛、砥部のためにと立ち上がった有志が草の根運動で、資金集めから会場運営まで手弁当で行った展覧会でした。
茶玻瑠さんには、展覧会の会期中を通して、石本さんに宿を提供してもらいました。スパイラルと石本さんとの契約では滞在期間中の旅費全額を出すのは無理だから、初めは、石本さんには準備と撤去の時のみ来てもらおうかという話になっていたんです。でも、せめて会期中ぐらいは、ご本人に松山に滞在していただいて、いろいろな人と会ったりお話をしていただいたりしなければと思っていたので、とても助かりました。石本さんがずっと茶玻瑠に滞在していただいたおかげで、茶玻瑠側との関係も深まり、道後オンセナートの企画を詰めるのにもメリットがあったと思います。
Q7 展覧会のメイン会場は愛媛県美術館でしたね。地元出身の世界的なデザイナー・アーティストの作品展ということでしたが、公立美術館としての協力体制は?
今回の展示会開催に当たっては、特別展示室というスペースを、実行委員会が賃貸料を払って借りたわけですが、展覧会を多くの人に見てもらう以上、他の会場は考えられませんでしたね。地元出身のアーティストの本格的な作品を、県美術館という公共性を持った空間に展示すること自体に、ひとつの重要な意味があると考えていました。だから、前年の11月ごろには会場を決めて、予約していましたよ。通常の美術館で行っている企画展も主催は「~実行委員会」となっていますが、同じ実行委員会という名前でも、石本展の場合とは全く立場が違います。こちらは会場を貸していただいている立場ですから。
Q8 公立美術館には本来、地域住民に対してどんなアートに触れるチャンスをつくるかを自ら考えるというミッションがあります。一方、公立の美術館や博物館などでは、往々にして、専門家がいる学芸部門と、県の事務職員が回り持ちで配属される総務部門との間で考え方にズレが生じてしまうケー スもあると聞きます。愛媛県美術館の場合は、如何でしたか?
どちらかといえば深く狭く、専門的見地から物事を考える学芸部門と、予算等の権限を持っている総務部門とでは、いわばスペシャリストとジェネラリストということで、視点が多少違ってくる場合もありますね。美術館や博物館で時々問題化するのは、学芸部門では単なる貸館事業がメインになってしまったり、収益や来館者数ばかりがクローズアップされたりしてしまう現状への危機感があっても、総務部門と問題意識を共有するのがなかなか難しい、というケースでしょうか。
今回の展覧会に関しては、やはり学芸部門の方々が特に熱心というか、何かにつけて協力的でした。でも、総務部門の方々も、こちらの顔も見せて、正体を知ってもらったら、ちゃんと理解を示してくれましたよ。
先方のトップに「顔見せ」をすることも重要だと経験上分かっていましたから、中村前砥部町長さんと安岡さんと、それから一度は石本さんも連れて、館長さんに直接ご挨拶に行きました。だって「実行委員会」という名称だけでは、実際にどんな人たちが関わっているか分からないでしょ? それで、たとえば借りていた展示室外の正面玄関口に大きな看板を出すのを許可してもらえるなど、多少の融通を利かせ てもらうことができました。
Q9 資金繰りに加え、イベントの広報も大変だったと思います。
そうですね、資金面以外で一番大変だったのが広報でした。マリメッコから作品を預かって管理していたスパイラルや、フィンランドにいる石本さんと地元との間で、事前の広報活動をするために必要なやりとりができる人が誰もいなかっ たんです。石本さんはあれほどの実績があるのに、地元での知名度はさほど高くはありませんでした。作品の実物があれば、あるいは作家本人がおられれば、事前のPRもしやすいのてすが、メディアで宣伝してもらおうにも、ネタがないんだもん!
Q10 そこでプレイベントを考えたわけですよね。いずれも人気でしたね。北欧グッズ、私たちもいっぱい買っちゃいましたよ!
幸いにして北欧デザインは今ブームだから、便乗しちゃおうと知恵を絞りましたよ。
プレイベントの一つ目は8月に砥部町文化会館にて開いた石本藤雄展プレセミナー「人と作品を語る」でした。東京での展覧会や石本さんが出演したトークイベントの模様を収 録したDVDを借りて放映するとともに、スパイラルの学芸員を招いて作品解説をしてもらったり、砥部焼の窯元さんに北欧デザインと砥部焼との関係について語ってもらったりしました。出席者数が危ぶまれましたが、結果的には定員60名のところに75名も集まりましたね。
もう一つは、8月30日から9月3日まで砥部焼観光センター「炎の里」で開かれた「北欧×砥部」展。松山の北欧デザイングッズ販売店「スケアラック」さんなどにもご協力いただいて、北欧の食品や雑貨や自動車(Volvo)まで展示・販売しました。北欧のブランドとデザイン提携してつくった砥部焼の器も、シンプルで可愛かったでしょ? 残念ながらマリメッコの松山支店とは、本社との契約の関係もあって、表立った協力関係は結べませんでしたが、お店の方では石本さんがデザインした商品が並べられ、しっかり宣伝していただきました。
Q11 実行委員会で「友の会」も募集した結果、とても優秀なボランティアの方々も集まってくださいましたね。英語ができる方とか、ライターだった方とか…。
プレイベントなどの仕掛けをしたことの最大の功績は「友の 会」だったと言えますね。会費3500円を払ったらサイン入りの本と会期中無料入場パスがもらえる、ということで募集したら、30数名集まってくれた。そのうち実働部隊でボランティアをしてくれたのは10人ほどですが、この方たちと支え合える関係ができたのはスゴイことです。皆さんが自らも楽しんで関 わってくれたおかげで、会場の雰囲気も良くなりました。
せっかく友の会であれだけの人材が手を挙げて集まってくれたのに、メールのやり取りだけで終わってしまって十分にフォローできなかった点は、少し残念だったかなぁ。
Q12 来場者も5000人を超えたということでしたね。Facebookページもつくったせいか、県外からのお客も多かったですね。撮影OKだったので、皆さん気に入った作品の前で記念撮影などして大人も子供も楽しそうでしたよ。この来場者数については、どのように自己評価しておられますか?
今回、若い人たちに見てもらおうということで、高校生以下を無料にしたんです。また、美術コースのある高校や専門学校にも呼びかけて、学校単位での見学と石本さんによるギャラリートークの機会も設けました。それにしても、予想を上回る来場者数でした。周知が十分にできず、前売券の売上は伸びませんでしたが、約半数が当日券を買って入場しているんです。デザインに関心がある人が愛媛にもこんなにいたとは!
会期中、石本さんと一緒に一日かけて3会場を回るツアーを企画できたのも良かったと思います。県外客が多いことを見込んで、茶玻瑠でのランチや砥部焼絵付け体験なども盛り込み、間接的に次の展開につながるような「仕掛け」「サプライズ」を仕込んでおいたつもりです。
Q13 道後オンセナート2014の準備にも関わっていて、 石本藤雄展に限らず、アートイベントを「一過性にしない」 ことの大切さを痛感しています。石本展終了後の動きについて教えてください。
そう、茶玻瑠の川本社長も常々言っているように「一過性にしない」ことは大切。美術展ってシンドイから、多くの場合はついつい「やりっぱなし」になっちゃいますけどね。
砥部町との関係については、石本作品2点が砥部の伝統産業会館へ常設されることが、11月の町議会で正式に決定しました。展示するには什器も必要だし、予算もかかるので、議会の承認が必要だったんです。不特定多数の人が訪れる場所に作品を展示してもらうことは、「一過性にしない」ということともつながっていると思います。
実行委員会自体は石本藤雄展が終われば解散です。会場も一切残りませんが、次のオンセナートでは茶玻瑠で石本さんの作品に出会えます。友の会の皆さん、実行委員会の皆さんも会場をご覧になったと思いますが、年末まで期間が長いので、石本さんの作品を通じて新たな発見や出会いがあると良いですね。
Q14 石本さんと砥部焼窯元のコラボ作品づくりについて教えてください。
それね、実はそんなに簡単な話でもないんです。有田や瀬戸などの大量生産型の産地と違って、基本的に手作りの砥部では「つくり手=デザイナー」なんですよ。それに砥部焼の窯元は基本的には家族経営が多いので、在庫を大量に抱えるわけにはいかない。こうした事情があるところでは、外部のデザイナーとのコラボなんて、難しい部分もあります。
石本さんもこの辺りの事情はよく分かっているから、砥部焼作家との打合せをしていても、決して前面に出過ぎず、窯元の意識・モチベーションを最大限引き出すところに重点を置いていたようでした。その辺りの見極めはさすがだと思いましたね。
砥部町から砥部焼振興の助成を受けて、石本さんがデ ザイン、窯元が試作を重ね、石本さんのデザインした茶玻瑠の部屋やショップで販売も予定しています。
Q15 石本藤雄展が地元に残せるものの一つに、砥部焼の「デザイン力」があるのかなとも思います。この「デザイン」という言葉についてですが、商品が売れる先への仲介なども含めて、佐野さんが考える「デザイン」の範囲ということでしょうか。
デザインって、ただオシャレな看板を作るということではなくて、入口から出口までを考えて、クライアントに利益をもたらすという成果を出さないと意味がないんですよ。だからデザイナーの仕事は、ただクライアントから注文された「アウトプット」を機械的にこなすだけじゃなくて「アウトカム」まで考えてやるものだと思います。
そうなると、ついついトータルコーディネートを引き受けることになっちゃいますねぇ。また、問屋を通すかどうかといったモノを売る「出口」から逆算して「入口」のモノづくりを一緒に考えることもあります。
愛媛のデザインに関するインフラは、石本展の話が初め に出た十数年前も今も、あまり変わっていません。でもだからといって内向きの、地元でしか通用しない「えひめ・ス タンダード」で満足するのではなく、外からの刺激を受けつつ、ローカルな枠組みを超えた視点を持つことが必要だと思っています。今回の石本藤雄展も、それから、同じく愛媛県美術館で以前開かれた青山二郎展や白洲正子展にも僕が関わったのは、そんなふうに考えてのことですね。
編集後記
「砥部町出身のデザイナーさんの個展が開かれるんだ けど関わってみない?」とゼミの先生から誘いを受けたのは2013年春。詳しいことがほとんど分からないままに最初の会議に参加しましたが、初めての名刺交換も経験し、 個展開催の背景が分かっていないため理解できない会話に戸惑った覚えがあります。何度も会議に出席し、いよいよ個展当日。私は会場の見回りをさせていただきました。会場ではお客様がニコニコしながら、「お部屋に飾ったら素敵だろうね」「あなたはどれが好き?」とお話されている のを聞いて、委員会の一人として参加できたことに大きな喜びを感じました。
今回の個展では、愛媛県民に地元のアーティストについて知ってもらうこと、愛媛のデザインの土壌を作ることが目的でした。撮影オッケーの展示だったので、作品の写真をSNSなどで拡散し、たくさんの人に知っていただけたこと、作品を見るだけでなく身近に感じていただけたことに意味があったとおもいます。
そして、若い世代の方々に芸術に触れてもらうため、私の母校、済美高校の学生さんが見学に来ていただきました。まだまだ将来についてのビジョンが固まってないであろう高校生が、作品をじっとみて一生懸命メモをとり、石 本さんのお話を真剣な顔で聞いている姿を見ました。石本さんを知ってもらうだけではなく、高校生たちの今後の人生や考え方について、小さな力でも影響を与えることが できたのではないかと思います。
展示会は終わってしまいましたが、道後オンセナートや石本さんとのコラボグッズをつくり「石本熱」をつなげて行こうと様々な取り組みが行われています。展示会で終わらせず、さまざまな業界の方に興味を持っていただけることで、今回の個展開催の本当の目的が達成されるのではな いかと思います。協力できたことはほんの少しですが、本 当に多くのことを勉強させていただきました。関係者の皆様に心より感謝いたします。
(清水)
取材日:2013年11月14日
取材:清水華奈・甲斐朋香
文:甲斐朋香・清水華奈